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<title>solcovの男の韓ドラ　underground</title>
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<description>『韓国ドラマ通信』（ソフトバンククリエイティブ）連載中の「男の韓ドラ」に書ききれなかったネタ、いまいちマイナーで取り上げられなかったドラマの記事など細々と。</description>
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<title>『太王四神記』あれこれ６</title>
<description> またしても間が随分あきましたが、このシリーズもいつの間にか6回目になってしまいました。当初はタムドクのことを書いて締める予定だったんですが、正直もうちょっと書きたいという気持ちもありまして・・・。予定を変更してネタの続く限りやっちゃおうかと思います。もしかすると間に他のドラマのことも書くかも知れませんけど。ここまで個々のキャラクターについて書いてきた訳ですが、今回はちょっと趣向を変えて『太王四神記
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<![CDATA[ またしても間が随分あきましたが、このシリーズもいつの間にか6回目になってしまいました。<br /><br />当初はタムドクのことを書いて締める予定だったんですが、正直もうちょっと書きたいという気持ちもありまして・・・。予定を変更してネタの続く限りやっちゃおうかと思います。<br />もしかすると間に他のドラマのことも書くかも知れませんけど。<br /><br />ここまで個々のキャラクターについて書いてきた訳ですが、今回はちょっと趣向を変えて『太王四神記』の世界観について書いてみようと思います。<br />「男の韓ドラ」にも書きましたが、僕は『太王四神記』の本質は「現代の檀君神話」だったと思っています。<br /><br />物語というものは、時代に合わせてその姿を変えて行きます。有名なおとぎ話の原型が今日知られているものとは大幅に違っているようなことも珍しくありません。『太王四神記』は広開土王を檀君の系譜に連なる者として設定したことにより、檀君神話から派生した物語としての性格を持つことになった訳ですが、その一方で檀君神話そのものにも改変を加えています。<br /><br />「檀君神話」は12世紀～13世紀、文字通り内憂外患の時代にあった朝鮮の人々が心の支えとした物語だと考えられています。そういう役割を持った物語に必要なのは、自分たちの属する集団に正当性を与えることです。正当性の裏付けとなるのは多くの場合「神」であり、人々は自分が「神に認められた存在である」ことを認識することによって、苦難に立ち向かう勇気を得る訳です。<br /><br />20世紀初頭、「檀君神話」は「大&#20519;教」という宗教を通じて、新たな変化形を獲得します。<br />これは言うまでもなく日本による占領という国難に立ち向かう必要から生じたものです（なお、「大&#20519;教」はその後も生き残り、1983年の時点で韓国内に35万人前後の信者がいたようです）。<br /><br />そして、21世紀の今、「檀君神話」の最新モデルは「神の力」を拒否する物語に変貌しました。<br />『太王四神記』という作品で最も注目すべきなのはこの点だと思います。<br /><br />「超自然的な力を与えられた主人公が世界を救う」という筋立てがもはや陳腐化しているということもあるでしょう。<br />神様はそうそう簡単に人を助けてはくれないことを誰もが知っています。<br /><br />しかし、考えてみれば、昔だってそれは同じだったはずです。<br />「神の力」による救いがないことを、当時の人々は恐らく現代の僕たち以上に実感していたでしょう。<br />外敵の侵入といった極端な難局だけでなく、自然災害や政変、未成熟な社会の中で起こる様々な軋轢、それらは全て無力な庶民の暮らしを圧迫します。<br />そういう苦難を人は自分の力で乗り越えて行くしかありませんでした。<br /><br />苦難の克服は必ずしも勝利を意味してはいなかったかも知れません。<br />望みを叶えられないまま死んでいった人の方がずっと多かったでしょう。<br />それでも人は少しずつ前に進んだり後ろに下がったりしながらここまで生きてきました。<br />いつ果てるとも知れない道を前に進んでいく勇気を与えてくれ、大きな共通の目的のために人々が一つにまとまる「核」ともなったのが神様でした。<br />いってみれば、「神様が助けてくれるかも知れない」という夢、あるいは幻想が人に目の前の現実を少しだけ忘れさせ、遠い未来を見据えることを可能にしたと言えるかも知れません。<br /><br />主人公が最後の最後で「神の子」とやらの力を発揮して、一気にものごとが解決してしまうような物語はたくさんあります。その種の物語の中心となるのは、主人公が「神の子」の力に覚醒するまでの経緯です。覚醒するまでは面白いのですが、覚醒してしまったらもう面白くも何ともないお話になってしまいます。実例を挙げると、『マトリックス』なんかはその最たるものでしょう（まあ、あれは後から続編を作って帳尻を合わせてますが）。<br /><br />多分、『太王四神記』の制作陣は、そんなおめでたい物語を作りたくなかったのでしょうし、現実に「神の国・チュシン」などというものはどこにも存在したことがないのですから、ストレートにタムドクを「神の子」としてしまうと、少々風呂敷が大きくなりすぎるということもあったかも知れません。<br /><br />代わりに物語の中心に据えられたのが、「神と人の関わり」というテーマだったように思います。<br /><br /><br />ちょっと長くなってしまったので、続きはまた次回ということで。<br />・・・あんまり間が空かないように頑張ります。 ]]>
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<dc:subject>記事に書ききれなかったネタ</dc:subject>
<dc:date>2009-02-01T22:19:36+09:00</dc:date>
<dc:creator>solcov</dc:creator>
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<title>『太王四神記』あれこれ５</title>
<description> あけましておめでとうございます。「男の韓ドラ」の原稿も（結構前に）無事終わり、今回はコ将軍とヨン・ガリョをまとめて行っちゃいましょう。何でこの二人がワンセットなのか、と思う方もいるかも知れません。もしかすると、ほとんどかも（笑）。この物語の中で対極に位置するようでいて、彼らは結構似ているんですよ。まずはより好感度が高いであろうコ将軍から。命を懸けて信念を貫く寡黙な男、コ将軍。多分、ほとんどの視聴者
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<![CDATA[ あけましておめでとうございます。<br />「男の韓ドラ」の原稿も<span style="font-size:x-small;">（結構前に）</span>無事終わり、今回はコ将軍とヨン・ガリョをまとめて行っちゃいましょう。<br /><br />何でこの二人がワンセットなのか、と思う方もいるかも知れません。<br />もしかすると、ほとんどかも（笑）。<br />この物語の中で対極に位置するようでいて、彼らは結構似ているんですよ。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/s/o/l/solcov/DVD_VIDEO-1.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/s/o/l/solcov/DVD_VIDEO-1s.jpg" alt="DVD_VIDEO-1.jpg" border="0" /></a><br />まずはより好感度が高いであろうコ将軍から。<br />命を懸けて信念を貫く寡黙な男、コ将軍。多分、ほとんどの視聴者はそういうイメージで彼を見ていたと思います。<br />コ将軍はフッケ将軍のように思い切った諌言をすることはありませんが、タムドクが危地に飛び込もうとしたら必死に止めようとします。「私は先王を守ることができなかった愚臣です・・・」という台詞に胸を打たれた人も多いことでしょう。<br />彼にとって、タムドクが本当にチュシンの王なのかどうかは問題ではありません。理想の世界をもたらしてくれることと引き替えにタムドクに仕えている訳ではないのですから。<br />仮にホゲが真のチュシンの王だったとしても、コ将軍はそれこそ「忠臣二君に仕えず」と一顧だにしないでしょう。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/s/o/l/solcov/DVD_VIDEO-0_20090101205930.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/s/o/l/solcov/DVD_VIDEO-0_20090101205930s.jpg" alt="DVD_VIDEO-0_20090101205930.jpg" border="0" /></a><br />実はそういう点でコ将軍とヨン・ガリョはよく似ていました。<br />『太王四神記』は第一話を丸ごと使って、理想国家チュシンがこの物語世界に生きる人々にとって夢物語ではないことを示しました。ところが、第二話で早々とヨン・ガリョはそれを否定してしまいます。<br />チュシンの星が輝いた日に産まれたホゲこそが未来の「チュシンの王」であると信じて疑わない妻に全く同調しようともしません。ところが妻の死後、彼はホゲを王にするために様々な陰謀を画策します。<br />そんな彼の真情が明らかになるのは、妻と同じ毒をあおって自決する時でした。<br />彼は「一旦息子を王に選んだ以上、タムドクに仕えることはできない」と自ら命を絶ってしまいます。<br />あのような形で母親を失い、「チュシンの王」になる以外の生き方ができなくなったホゲを、ヨン・ガリョは必死に救おうとしていたのです。彼にとって、ホゲが本当にチュシンの王であるかどうかは問題ではなかったはずです。<br /><br />先王を救えなかった負い目を持ちながらタムドクを支えるコ将軍同様、ヨン・ガリョも妻を止められなかった負い目を持ってホゲを支えていたのでしょう。<br /><br />そして、もう一つこの二人に共通するのはリアリストであったということです。<br /><br />将来理想の世界が待っているとしても、人は今この瞬間を生きていかなければなりません。<br />若い頃散々一般の人々と交流してきただけあって、タムドクはそのことをよく理解しています。<br />彼は徒に武力衝突することを避け、無血開城などということもやってのけますし、場合によっては敵軍の家族を人質に取ったり、商取引を仲介することで国家間を結びつけるような戦略も取ります。<br />それらは全て国土を荒廃させ民力を低下させる戦乱を、極力避けるという現実的な判断から出たものでした。<br /><br />「理想国家チュシン」を盲目的に信じた人々は、とかくそういう視点を失いがちです。<br />少々の犠牲を払っても、未来の理想世界が十分にそれに報いてくれると信じている訳です。恐らく、タムドクの他にはヨン・ガリョとコ将軍だけが「今」を絶えず見つめていたのではないかと思います。<br />特にヨン・ガリョは、政治家として現実と理想のギャップを埋めようと苦闘していたといえるでしょう。<br />ヨン・ガリョが死んだ時、タムドクが「政治を任せられる人物を失った」と嘆いたのは、彼と価値観を共有できる政治家がヨン・ガリョ以外にいないことを誰よりもわかっていたからです。<br />コ将軍は内政がらみの処理を頼まれた時に「いっそ一人で敵を全部倒せと言って下さい」なんて言っちゃうような人でしたしね。<br /><br />ヨン・ガリョというキャラクターは、『太王四神記』が「天から与えられた理想国家」を否定するという形で終わることを予見させる存在でした。彼に注目してこのドラマを見ていた人にとって、あのラストはほぼ予想通りだったのではないでしょうか。<br /> ]]>
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<dc:subject>記事に書ききれなかったネタ</dc:subject>
<dc:date>2008-12-23T11:59:39+09:00</dc:date>
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<title>『太王四神記』あれこれ４</title>
<description> ちょっと間が空いてしまいましたが、今回は男が惚れる男、フッケ将軍です。メインキャラクターは全員美男美女の『太王四神記』世界で、フッケ将軍はチュムチとはまた違った意味で異彩を放つ存在です。「男臭い男、チュムチ」に対して、「オヤジらしいオヤジ、フッケ将軍」っていう感じでしょうかね。今も昔も若者と対峙したオヤジに求められるのは「ものわかりの悪さ」だと思います。歳を取るとまず体力が落ちます。記憶力も怪しく
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<![CDATA[ ちょっと間が空いてしまいましたが、今回は男が惚れる男、フッケ将軍です。<br /><br />メインキャラクターは全員美男美女の『太王四神記』世界で、フッケ将軍はチュムチとはまた違った意味で異彩を放つ存在です。<br />「男臭い男、チュムチ」に対して、「オヤジらしいオヤジ、フッケ将軍」っていう感じでしょうかね。<br /><br />今も昔も若者と対峙したオヤジに求められるのは「ものわかりの悪さ」だと思います。<br />歳を取るとまず体力が落ちます。記憶力も怪しくなって来ますし、頭の回転だってどんどん遅くなります。そうした能力とともに、生物としての価値は低下している訳です。<br />ですが、オヤジには若い連中とは違うものの見方ができ、違う考え方ができます。豊富な経験から、若い連中には予想できないようなことが予想できてしまいます。いわば、生物としての能力低下と引き替えに手に入れた人としての力を持っているんですね。<br />その力で、オヤジは若者の行く手を阻みます。若者はまず、オヤジという難関を突破しなければならなくなります。オヤジの壁を突破することは、「古い世代の価値観」を知り、それを突き崩す技術を身につけることです。<br />ここを乗り越えられないようでは何を考えていたとしても所詮途中で挫折してしまうでしょうから、若者が世界と対峙するための資格試験みたいなものですね。<br />そう考えると、「ものわかりのいいオヤジ」にはあんまり存在価値がないんです。そういうオヤジと若者の差別化ポイントは「より能力が低い」点だけになってしまいますから。<br /><br />「話せるオヤジ」というのもいますが、これは「一応若造の話を聞いてやった上で、適切な指導と支援を与えられる」存在であって、「ものわかりがいい」というのとは根本的に違います。<br />僕たちの年代だと、『仮面ライダー』に登場する「立花のおやっさん」ですね（笑）。<br /><br />ちょっと話が脱線気味ですが、ここでフッケ将軍のことを考えてみましょう。<br />見事にものわかりが悪いですね（笑）。<br />無茶苦茶頑固でそうそう簡単には自分の考えを曲げません。場合によっては王様の命令にだって逆らってしまいます。<br />ですが、それは若くて経験の浅いタムドクが道を誤らないようにという使命感に駆られてのことのように見えます。フッケ将軍は元々タムドクの父の忠臣ですから、亡き父に代わって言うべきことは言うという意識もあったかも知れません。<br />そして、一旦納得したら命懸けでタムドクを助けます。まさにオヤジの鏡と言えるでしょう。<br /><br />フッケ将軍がそういう「オヤジらしいオヤジ」でいられるのは、厳しい状況を生き抜いて来た自信があるからです。一族を率いて分の悪い戦争を生き抜き、冷遇されても決して信念を曲げずに乗り越えて来た男であればこそ、自信を持って若者の前に立ちはだかることができるんですね。<br />今時の、「チョイ悪」系雑誌の与太話を真に受けるオヤジや、中途半端に若者に迎合しようとして却って煙たがられるオヤジとは訳が違いますね（笑）。<br /><br />最終回、年老いたフッケ将軍はついに馬上で敵刃に斃れます。今わの際、敵陣に切り込んでいくタムドクを姿を認めたフッケ将軍は、かすかに笑みを浮かべて息絶えるのですが、僕にはこの時フッケ将軍はタムドクの父のような気持ちだったのではないかと思えてなりません。<br />伝えられる限りのことを伝え、未来を若者に託して人生最大の戦いのさなかに死を迎える。このシーンに思わず涙を流す男性視聴者は多いはずです。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/s/o/l/solcov/PDVD_001.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/s/o/l/solcov/PDVD_001s.jpg" alt="PDVD_001.jpg" border="0" /></a><br /><br />自分の息子が命と引き替えに守り抜いたタムドクを常に傍らにいて支え続け、最後には自分もタムドクの進む道を切り開いて命を落とすフッケ将軍の姿は、僕たちに問いかけます。<br />「オマエはワシのように笑いながら死ねるか？そういう生き方をしているか？」と。<br />そう、フッケ将軍は僕たちの「オヤジ」でもあったのです。<br /><br />次回はコ将軍とヨン・ガリョを取り上げようと思います。<br />つづく。<br /><span style="color:#999999"><span style="font-size:x-small;"><br />年末にかけて「韓国ドラマ通信」の原稿にとりかかりますので、また間が空くかも・・・。</span></span> ]]>
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<dc:subject>記事に書ききれなかったネタ</dc:subject>
<dc:date>2008-11-24T12:23:28+09:00</dc:date>
<dc:creator>solcov</dc:creator>
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<title>『太王四神記』あれこれ３</title>
<description> 『太王四神記』のキャラクターの中でも、チュムチは特に目立つ存在です。何しろルックスがすごいというのもありますが（笑）、彼はこの物語の中では数少ない、「男臭い」男なんですね。考える前に行動する。その結果何が起ころうとも、臨機応変に切り抜ける実力を持っている（結構失敗もしますが）。こういう人物像に男は憧れます。少年マンガの世界は、何十年間もそういう主人公たちに支えられて成り立って来ました。行動の結果、
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<![CDATA[ 『太王四神記』のキャラクターの中でも、チュムチは特に目立つ存在です。<br />何しろルックスがすごいというのもありますが（笑）、彼はこの物語の中では数少ない、「男臭い」男なんですね。<br />考える前に行動する。その結果何が起ころうとも、臨機応変に切り抜ける実力を持っている（結構失敗もしますが）。<br />こういう人物像に男は憧れます。少年マンガの世界は、何十年間もそういう主人公たちに支えられて成り立って来ました。<br />行動の結果、何らかの壁にぶつかって、その壁をどう乗り越えて行くかが主要なテーマになっている少年マンガはたくさんあります。知恵と工夫で乗り越える場合もありますし、ピンチに陥るたびに秘められた力が解放されていくなんていう、余り感心しない展開（スーパーサ○ヤ人になっちゃうようなやつですね）もままあります。<br />そういうパターンと並んでよく見られるのが「ある出会いによって新たな力を得る」というパターンです。<br />指導者と出会うことで成長するとか、守るべき対象と出会って責任を自覚するとか、好敵手と出会って更に鍛錬を重ねるとか、色々なバリエーションがありますが、チュムチの場合もこの「出会い」パターンと言えるでしょう。<br />彼は傭兵団を率いて稼いではいますが、本来自分が果たすべきシウ部族長としての責任を果たすことができずにいます。少々金を稼いだくらいでは自分たちの土地を取り戻すことはできません。<br />しかし、彼はタムドクと出会い、かつて失った土地以上のものを一族に与えられる可能性を見出します。それがタムドクが築こうとしている理想国家、チュシンだった訳です。<br /><br />そして、彼は各地に散らばったシウ部族の仲間を呼び集めます。<br />↓このシーンですね。<br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/s/o/l/solcov/DVD_VIDEO-0.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/s/o/l/solcov/DVD_VIDEO-0s.jpg" alt="DVD_VIDEO-0.jpg" border="0" /></a><br />多分意図的な演出だと思いますが、これはヒーローものではもう定番といっていいような画面構成です。真ん中に主人公を置き、周辺を見るからに一癖ありそうな仲間たちが固める。<br />この時、主人公はシルエットだけでもすぐ判別できなければなりません。もしかすると、チュムチがあんなとんでもない髪型をしていたのはこのためだったのではないかとさえ思えるくらい、このシーンは見事にハマっています。<br />そして、「俺たちはこれから死んでも悔いのない戦いに出発する。みんな俺について来るか？」というシンプルな呼びかけに、シウ部族の面々は野太い喚声で応えます。<br />女性ファンはまた違った見方をされるかも知れませんが、僕はこのシーンでおもわず涙ぐんでしまうくらい感動しました。<br />やっぱりこういうかっこいいシチュエーションで、かっこいい台詞を一度くらい言ってみたいものなんですよ、男っていう生き物は（笑）。<br />今は全然さえない生活をしてるけど本当はそうじゃないんだ、という気持ちは誰しも持っているものです。「死んでも悔いはない」と思えるところまで何かに集中できることなんて普通はありません。<br />会社の仕事に集中して過労死した、なんて話を聞いて、「ああ、そこまで仕事に賭けていたんだな」と思うサラリーマンはいないでしょう。それは死んだ当人がどう思っていたかとは関係なく、多くの人は「会社の仕事になんて命を賭ける甲斐がない」と考えているからです。それは裏を返せば、「自分は命の重みに見合わない生き方しかしていない」という自覚でもあります。<br />だから、「自分の使命に命を賭ける」ヒーローに憧れるんです。<br /><br />そういう面から考えると、チュムチは主人公になってもおかしくないキャラクターと言えるでしょう。チュムチを主人公にした、別のドラマが作られたら多分僕は大喜びするでしょう。<br />このことは、チョロとヒョンゴについても言えます。<br />彼らもまた主人公になり得るだけの物語を持ったキャラクターなんですね（特にチョロはチュムチとはまた違った意味で派手なキャラクターですから、相当に面白い物語になりそうです）。<br /><br />普通だったら主人公になっていてもおかしくないキャラクター群がタムドクの元に集い、世界そのものの運命を切り開いて行くのが『太王四神記』という物語だった訳です。<br />それは同時に、今までにどこかで見たことのあるヒーローたちが、タムドクという新世代のヒーローの元でどんな未来を切り開くのかという物語でもありました。<br />この物語は、過去に存在した架空のヒーローたちに思い入れを持っている人ほど楽しめたのではないかと思います。<br /><br />最近、チュムチ役のパク・ソンウンと、タルビ役のシン・ウンジョンが本当に結婚してしまいましたが、なんだかチュムチの物語がまだ続いているような錯覚を起こしてしまいますね（笑）。<br /><br />次回は男臭さにおいてはチュムチを遙かに凌駕する男、フッケ将軍のことを書きたいと思います。<br />つづく。 ]]>
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<dc:subject>記事に書ききれなかったネタ</dc:subject>
<dc:date>2008-11-08T21:22:46+09:00</dc:date>
<dc:creator>solcov</dc:creator>
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<title>『太王四神記』あれこれ２</title>
<description> 第一話を物語の土台とすると、第二話～第五話は骨組みとでも言うべき部分です。ここで主要なキャラクターが出揃い、第六話以降に起こるであろう波乱の予兆が示されることになります。特に重要なのは、第一話で登場した「天の力」と「地の力」を手に入れようとする「人」の集団、火天会の登場でしょう。ファヌンがカジンから奪ってセオに与えた「地の力」は、「天の力」とともに後世に託されました。その人智を越えた力を正しく使っ
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<![CDATA[ 第一話を物語の土台とすると、第二話～第五話は骨組みとでも言うべき部分です。<br />ここで主要なキャラクターが出揃い、第六話以降に起こるであろう波乱の予兆が示されることになります。<br />特に重要なのは、第一話で登場した「天の力」と「地の力」を手に入れようとする「人」の集団、火天会の登場でしょう。<br /><br />ファヌンがカジンから奪ってセオに与えた「地の力」は、「天の力」とともに後世に託されました。その人智を越えた力を正しく使って、真の理想郷を現実のものとして欲しいという願いを込めてのことでしたが、火天会長老は全ての力を簒奪しようと狙っています。<br />この状況から視聴者が想像するのは、正当な王位継承者と偽王の戦いです。<br /><br />その想像を裏付けるかのように、タムドクと対立する存在としてホゲが登場し、火天会長老に利用され始めます。しかも、タムドクは少年時代に自分の才に溺れ、ホゲの母親を死なせてしまったことでホゲに負い目を感じているのですから、これはもう先の展開は読めたようなものです。<br /><br />ああ、火天会に操られるままに間違った道に足を踏み入れたホゲと、それを止めようとするタムドクとの戦いが始まるのだな、と思った人は多いでしょう。正面切っての武力闘争ではなく「宝捜し」で決着を付けるというのもよくあるパターンですしね。<br /><br />ところが、この物語はそう単純な方向を目指してはいませんでした。<br />まず主人公であるタムドク自身が、さほどチュシンの王となることに情熱を傾けているようには見えません。<br />そのことは第六話以降、さらにはっきりして来るのですが、タムドクは火天会を含め、「チュシンの王」の再来を信じる人々が作り上げていく状況の中で、やむにやまれず高句麗の王となったような印象さえ与えます。<br /><br />そしてもう一人、ノリの違うキャラクターがいます。<br />ホゲの父・ヨン・ガリョです。<br />彼だけはどうやら、チュシンの星の下に生を受けた者が真の王となる、という伝説を余り真に受けていないようです。彼はむしろ、凡人どもがその伝説を信じていることを利用して息子を王位につけるという方向で物事を考えているようなのです。<br /><br />僕が『太王四神記』という物語はひょっとして一筋縄では行かない物語なのではないか、と思ったのはヨン・ガリョが登場した頃からでした。<br /><br />第二話～第五話では、「天の力」と「地の力」の対立に加え、「天の力」と「地の力」を共に受け継ごうとする「人」同士の対立が生じます。<br />更に、「人智を越えた力に頼る人」と「超自然の力に頼らない人」という対比関係も存在している訳です。<br /><br />これは言ってみれば、物語を第一話の延長線上に展開しようとするベクトルと、第一話を伝説として過去のものにしてしまおうとするベクトルの対立ということができるでしょう。<br />僕は、『太王四神記』の面白さはこの二つのベクトルのせめぎ合いにあったと思っています。<br /><br />つづく。<br />次回は僕の大好きなキャラクターの一人である、チュムチの話を書きたいと思います。 ]]>
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<dc:subject>記事に書ききれなかったネタ</dc:subject>
<dc:date>2008-11-02T21:43:44+09:00</dc:date>
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